北海道4日目の続き。
名寄で自転車を組み立てて、興部に向かって国道を東へ走って行きます。
このルートですが、かつて名寄本線が通っていましたが、平成元年5月に廃止、バス転換となったところです。
当時数多くのローカル線が廃止になりましたが、「本線」でも廃止になってしまうのか、と驚いた記憶があります。
北海道の自転車旅行だと、こういう廃線に沿って走るところも多く、その遺構をあれこれ見てしまい、なかなか先に進めません。
廃線後30年になりますが、名寄本線は鉄道の痕跡が割と多く残っていて、住民の方に愛されてたんだなーという感じが伝わってきます。
これは名寄から2駅先の上名寄駅。駅跡ということでバス停の横に駅名標を立ててました。
20kmほど走った下川の町でセイコマートへ。今回初セコマ。
100円パスタ。これが食べたかったんだよ。
先に進めないとわかっていながら、下川の町で駅の跡地探し。
駅があるところは道路幅が広がり、商店(の跡)があったりするので比較的わかりやすいです。
国道から少し南に入ったところに駅跡がありました。気動車が置いてあって、泊まれるようです。
奥の建物がバスターミナル。商工会が入っていたり、鉄道関係の資料が置いてあったりします。
一つ先の一ノ橋駅跡。なんだかオシャレな雰囲気の町になっていました。
道路挟んだ反対側はこんな感じの建物も残ってました。
この一ノ橋から先が、天北峠の峠越えになります。
国道を走っていると、線路の路盤のような盛土が見えました。
蒸気機関車時代はこの一ノ橋ー上興部間の峠越えの様子をカメラに収める方が多かったようですね。
と思って、帰ってから検索してみたら、たぶんこの場所だろうなと思われる写真を発見したのでリンク。
北のキューロク/昭和49年夏(3)―趣味の写真帳
峠と言ってもゆるゆるしたと優しい坂が続くだけです。蒸気機関車が登れる峠ですからね。交通量も少ない。オホーツク高気圧からの冷たい空気で空はどんよりしてます。
こんなところ出てきて、車に気を付けろよー。
しかしずいぶん貧相なキツネですね・・
こうして特に苦もなく、一ノ橋から20分ほどで標高300mの天北峠へ。
ちなみに、3年前に越えた音威子府から浜頓別に向かう峠も同じ名前「天北峠」です。
峠の下りは割としっかりした下り坂になっていて、10分ほど走り左手に派手な道の駅がありましたが通過、少し先の上興部の駅に寄ってみます。なんか今でも列車が走っているような雰囲気です。そして停まっているのは急行型の気動車。ワクワク。
昔のままと思われるホームに佇むキハ27 109。
まさに急行型の気動車です。
後にはロータリーが連結されていたり、床下の部品がなくなっているので、ちょっとあれ?という感じもします。
車内に入れました。「そのまま」感たっぷりの車内。
半分は畳敷きになっていました。
かつてライダーハウスにでもしていたのでしょうか?(今は泊まれないようです)
駅舎は鉄道資料館になってます。
待合室にはなぜか車両の直角シートが置かれてます。キハ27を畳敷きにしたときの余りでしょうか?
「乗って残そう名寄本線」という垂れ幕が寂しい感じがします。
事務室の方には多数の資料が保存されていました。
それも、「内部資料」的なものも多数保存されていて、時間をかけてじっくり見たいところです。
こういう生々しい資料を見るといろいろ考えてしまいますね。
社畜として・・・
後ろ髪を引かれる思いで上興部駅を後にし、次の西興部駅へ。西興部村の中心部です。
西興部村は音威子府に次いで小さい村。かつて合併協議があった頃、早々と自立の道を歩むこととしたそうです。
なんだか「名寄本線各駅停車の旅」になっていますが。
やっぱり駅前の道は広い。
駅跡と思われる場所はホテルや公共施設が立ち並んでいました。村のイメージカラーのオレンジだそうです。(詳細はこちらhttp://news.livedoor.com/article/detail/10038601/)
次の駅、中興部は駅舎がきれいに残っていましたが、個人所有のような雰囲気がしたのでチラ見して通過しました。
意外と長くなってしまったので、(3)につづきます。
名寄で自転車を組み立てて、興部に向かって国道を東へ走って行きます。
このルートですが、かつて名寄本線が通っていましたが、平成元年5月に廃止、バス転換となったところです。
当時数多くのローカル線が廃止になりましたが、「本線」でも廃止になってしまうのか、と驚いた記憶があります。
北海道の自転車旅行だと、こういう廃線に沿って走るところも多く、その遺構をあれこれ見てしまい、なかなか先に進めません。
廃線後30年になりますが、名寄本線は鉄道の痕跡が割と多く残っていて、住民の方に愛されてたんだなーという感じが伝わってきます。
これは名寄から2駅先の上名寄駅。駅跡ということでバス停の横に駅名標を立ててました。
20kmほど走った下川の町でセイコマートへ。今回初セコマ。
100円パスタ。これが食べたかったんだよ。
先に進めないとわかっていながら、下川の町で駅の跡地探し。
駅があるところは道路幅が広がり、商店(の跡)があったりするので比較的わかりやすいです。
国道から少し南に入ったところに駅跡がありました。気動車が置いてあって、泊まれるようです。
奥の建物がバスターミナル。商工会が入っていたり、鉄道関係の資料が置いてあったりします。
一つ先の一ノ橋駅跡。なんだかオシャレな雰囲気の町になっていました。
道路挟んだ反対側はこんな感じの建物も残ってました。
この一ノ橋から先が、天北峠の峠越えになります。
国道を走っていると、線路の路盤のような盛土が見えました。
蒸気機関車時代はこの一ノ橋ー上興部間の峠越えの様子をカメラに収める方が多かったようですね。
と思って、帰ってから検索してみたら、たぶんこの場所だろうなと思われる写真を発見したのでリンク。
北のキューロク/昭和49年夏(3)―趣味の写真帳
峠と言ってもゆるゆるしたと優しい坂が続くだけです。蒸気機関車が登れる峠ですからね。交通量も少ない。オホーツク高気圧からの冷たい空気で空はどんよりしてます。
こんなところ出てきて、車に気を付けろよー。
しかしずいぶん貧相なキツネですね・・
こうして特に苦もなく、一ノ橋から20分ほどで標高300mの天北峠へ。
ちなみに、3年前に越えた音威子府から浜頓別に向かう峠も同じ名前「天北峠」です。
峠の下りは割としっかりした下り坂になっていて、10分ほど走り左手に派手な道の駅がありましたが通過、少し先の上興部の駅に寄ってみます。なんか今でも列車が走っているような雰囲気です。そして停まっているのは急行型の気動車。ワクワク。
昔のままと思われるホームに佇むキハ27 109。
まさに急行型の気動車です。
後にはロータリーが連結されていたり、床下の部品がなくなっているので、ちょっとあれ?という感じもします。
車内に入れました。「そのまま」感たっぷりの車内。
半分は畳敷きになっていました。
かつてライダーハウスにでもしていたのでしょうか?(今は泊まれないようです)
駅舎は鉄道資料館になってます。
待合室にはなぜか車両の直角シートが置かれてます。キハ27を畳敷きにしたときの余りでしょうか?
「乗って残そう名寄本線」という垂れ幕が寂しい感じがします。
事務室の方には多数の資料が保存されていました。
それも、「内部資料」的なものも多数保存されていて、時間をかけてじっくり見たいところです。
こういう生々しい資料を見るといろいろ考えてしまいますね。
社畜として・・・
後ろ髪を引かれる思いで上興部駅を後にし、次の西興部駅へ。西興部村の中心部です。
西興部村は音威子府に次いで小さい村。かつて合併協議があった頃、早々と自立の道を歩むこととしたそうです。
なんだか「名寄本線各駅停車の旅」になっていますが。
やっぱり駅前の道は広い。
駅跡と思われる場所はホテルや公共施設が立ち並んでいました。村のイメージカラーのオレンジだそうです。(詳細はこちらhttp://news.livedoor.com/article/detail/10038601/)
次の駅、中興部は駅舎がきれいに残っていましたが、個人所有のような雰囲気がしたのでチラ見して通過しました。
意外と長くなってしまったので、(3)につづきます。