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千本松原と薩摩カイコウズ街道 [お出かけ]

http://expreso.blog.so-net.ne.jp/2015-06-24 (元記事URL)

GWの関ヶ原からの帰り道に通った「薩摩カイコウズ街道」。
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走りながらなんで岐阜で「薩摩」なんだろ?と思っただけで、普通ならスルーしてしまうところですが、いただいたコメントから興味が湧いてしまったので、メモ。

江戸時代の話に遡ります。
http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei-unei/kocho-koho/kagoshimaken-koryu/meiyaku.html
 江戸時代中期の1755年(宝暦5年)、薩摩藩は岐阜県南部を流れる木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域の治水工事を完成させました。宝暦治水といわれるこの工事は、徳川幕府が薩摩藩に命じた堤防を作る工事で、非常に困難なものであったため、薩摩藩は多額の借金を抱え多くの犠牲者を出しました。

 とあります。
 工事は完成しましたが、工事を請け負った薩摩藩の総奉行は、多くの犠牲者と多額の財政負担に責任を感じたのか、国へ「完了報告」を行った翌日に自刃してしまいます。
http://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/shimaitoshi/documents/11779_20120329221612-1.pdf

流域に住む人々は、洪水に苦しむことが少なくなったことを喜び、工事に従事した薩摩藩士を「薩摩義士」と敬い、その偉業をたたえました。
 その精神的な絆をもとに、岐阜県と鹿児島県は、昭和46年7月27日に姉妹県盟約を結びます。

そして・・・
http://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/shimaitoshi/gihu.html
当時、最大の難工事といわれた油島堤防には、藩士たちが国もとの薩摩から松の苗木を取り寄せて植えたものだと伝えられる千本松原があり、その松は今では大きく枝を伸ばし、松林のなかに建立された治水神社とともに、薩摩義士の遺徳を偲ばせています。


というのが、この松原のようです。
(※オリジナルのブログは背景黒です。
 白い背景で見ている方はスマホ版か、記事の無断引用です(笑))
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http://expreso.blog.so-net.ne.jp/2015-05-17

関ヶ原から海津市までの県道56号線「薩摩カイコウズ街道」とは・・・

http://www.city.kaizu.lg.jp/sightseeing-event/highlight/kaikozu.html
 岐阜・鹿児島姉妹県盟約20周年を記念し、平成3年に整備されました。  「薩摩カイコウズ街道」と名付けられたこの花街道は、主要地方道南濃関ヶ原線を中心として、当市(海津市)から関ヶ原までの約35Kmにわたって、鹿児島県の木「カイコウズ」が植えられています。


薄暗い中、ただ走りすぎてしまっただけなので、松並木があったかどうかも記憶が定かではない中、ブレブレの1枚の写真が残した風景からこんな歴史を知ることができるとは思いもしませんでした。やはり下道は楽しいですね。(tsunさん、コメントありがとうございます!)

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